(質問者)オウム真理教では、万民救済を目指しているのですか。それとも、一部の選ばれた者だけを救済するのですか。


(尊師)それはね、二つの考え方があって、一つは万民救済といえば万民救済であると。あるいは、一部を救済するといえば一部を救済するということであると。
どういうことかというと、多くの法をできるだけ振りまくと、一般に。これはまずOKだね。で、その法を聴いて実践する人、それは当然救済されることになるわけだから、実践する人が万民であれば万民救済であると。しかし、その法がそこに存在するのに、それを実践しない人、例えばここに薬と毒とあったとして、その毒を取って毒を飲む人は、それはしょうがないじゃないかということだよね。わたしたちは当然、薬を飲みなさいという宣伝はします。
だから、そのために、例えば書籍の値段を破格の値段に引き下げたりとか、ビデオの値段を引き下げたりとかいう工夫をしながら、できるだけ多くの人に、入信する入信しないはともかくとして、まずオウム真理教の教えを広める必要があるということで実践しているわけです。
 そしてその延長上に、最終的な救済が存在するわけだけどれも、開かれた法であることは間違いないと。で、開かれた法イコール万民救済だというならば、それは万民救済であるということだよね。
(九一年十一月二十四日・京都大学)

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