○月×日
私が帰国して一週間ほど経ったとき、尊師の指示でニューヨーク支部が一時閉鎖(翌年二月まで続く)されることになった。さらに、年が明けて間もなく開かれた大師会議では、尊師から私が海外支部を担当することはもうないだろうということを言われた。
この一連の出来事は、強かった私の外国願望をほとんど強制的に打ち崩していくものだった。
そして、ある日、「もう、外国での救済を特に意識することはやめよう」と半ばやけくそに思い切った。そのときは、自分を支えている大きな力がなくなり、痛みと共に何か宙に浮くような感じさえしたが、その後は、私の外国への執着はどんどん落ちていった。
自分にとってのニューヨークは、終始プライドや執着を落とす方に動いていたようだ。大変貴重な体験だった。
○月×日
私の煩悩は、修行を妨げるために様々な疑問を投げかけてきた。修行の意義を支える根本的な世界観、例えば、魂の存在、転生の存在、欲六界の存在、カルマの存在などに対する疑問、自分の神秘体験が幻影ではないかという疑問、在家で天界を目指す修行に妥協しようという誘惑……などが心に浮いてきた。私の心は揺さぶられた。
そこで、私は、尊師の本を読み直すことに加え、オウムの出版物に載っている大師方の体験、釈迦牟尼やチベット仏教の経典、欧米での信頼できる輪廻転生の研究などに注目した。貴重な体験をした大師から、詳しい話を聞いた。関連する経典、出版物にも目を通した。そうしながら、疑問に対する回答を見つけるため、自分の体験の意味合い、現世の意味合い、修行の意味合いなどを考えていった。
これらの思索は、ある時期に集中して行なったのではなく、煩悩によって修行に対する疑問が強くなる度に考えたことだ。何カ月間も同じところで答えが出ずに、苦しんだこともあった。しかし、一つ一つの疑問が解決するごとに、修行はするべきだという気持ちが、疑問を持つ心よりも着実に強くなっていった。
修行を通じての世界観は、自分の体験だけでなく、信頼できる事実や他人の修行体験を目にするうちに、自分の心の中で次第に確固たるものとなっていった。
現世での生活を初めとする煩悩的な生き方についても、そのはかなさ、苦しみといったものを感じるようになっていった。しかし、これには特に長い時間がかかった。たぶん出家前にあまり苦しまなかったためだろう。
ここで役に立ったのが、前に述べたオウムでの様々な苦しみ、煩悩によって生じた苦しみの体験だった。そして、その体験の中で培ってきた修行における粘り強さだった。もちろん本に書いてある教義も役立ったが、自分自身の苦しみの体験は何といっても強いインパクトを伴っていた。
○月×日
ウッタルカシー――そこは、ヒマラヤにあるこぢんまりとした町だった。近くにはガンジス川が流れている。上流に近いので水は澄み切っていて、太陽の日を受けると水晶のようにきらめく。
私達は、町中から少し外れて、質素なホテルに荷を降ろした。そこで、大師は一人一部屋与えられ、それぞれ瞑想修行に打ち込むこととなった。
○月×日
瞑想に入った。しばらくすると、眠気が襲ってきて、耐えられなくなった。「眠るな! 今が一番大切なときだ。」
私は自分を励ました。
「苦しいが頑張らなくてはいけない。念だ! 念を強めろ!」
すると、いつもと違う非常に気持ち良い状態に入った。大変楽で静かな状態だ。意識は深い感じなのに、すごく鮮明だ。呼吸もほとんどしていない。
「これが『楽』の状態か。」
ふっとそう思う。 瞑想課題について思索し始める。まず、性欲について意識を向けた。具体的にイメージすると、性欲のエネルギーが上昇してくる。明るかったヴィジョンが暗くなる。そして、性欲について思索を始めた。その瞬間だった。性欲がズバッと落ちた。
続けてプライドについて瞑想した。すると、思索を始めてすぐに、プライドに対応するチァクラのあたりに何かがチカッと光って消滅した。そして、強いエネルギーが昇り、目の前が光で満たされていった。 「煩悩が瞬間的に滅するとはこのことか!」
それまで、どうしても到達できなかったステージだった。極厳修行でも、その後の修行でも、一回も経験することができなかった。前回の極厳修行でクンダリニーヨーガを成就したが、それは修行が完成したという訳ではない。特に支部での救済活動など、他人の影響を強く受ける環境では、煩悩を押さえきれずに何度となく振り回され、自分が自分の思うようにならず苦しみ続けてきた。
しかし、このとき、「煩悩は本当に滅することができるんだな」
と、私は実感した。それは、私が修行を始めてからずっと求め続け、初めて体験した“本当の喜び”だった。煩悩を満たすことによっては絶対に得られない、自分のすべてが喜んでいる状態だった。
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